初盆 | てざわりの記憶

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

初盆がやってきた。


そもそもお盆と言う物は自分にとっては懐かしい親戚がそろうにぎやかな日であり、休みが合う友人たちとの再会の日であり、ちょっぴり特別で浮かれて、それでいて不思議な静けさと倦みをはらんだ非日常の存在だった。


今年の四月に父が亡くなり、喪主として慌ただしい日々を送ってきた。

今年迎えるのはいつものお盆ではなく、初盆だ。


亡くなった人が返ってくると言うこの日、現世の高速道路と同じく幽世との道もごった返している事だろう。

次々とやってくるお客さんたちに感謝し、対応しながら、死んだ父親の私の知らない面を沢山知る事が出来た。アダルトチルドレンの私にとって父に対する思いはそんな話を聞いた後でも変わらないのだが、それでも父の存在で楽しい思いや助かった人たちがいた事にほっとする。


あいつさえ死ねば、いや、殺せたら、と何度思った事だろう。

父は死んだ。しかし、自分は何も変わっていない。


私を苦しめた父は今でも私の中に生き、もはや私の一部と化して私を操っている。

それがもはやこの世に居ない存在だと、間違った学びであったと自分に言い聞かせてみても、おいそれと変われない。


もう役に立たなくなったモノと、今でも暮らしている。

見回してみれば、ずいぶんと同じようなものがある。